働話§午前様と朝帰りの時代 [神保町]
何とも不規則な仕事を20年ほど続けていた……体力がまだまだあったのだなと、今振り返れば感心するような勤務実態だった。
定時は9時30分~17時30分、週休二日だったが、定時出社&退社したことはその20年の間に数えるほどしかなかった。遅い朝に起き出し、出社の途中で昼飯を食べて、会社のタイムレコーダーを押印すれば、そこからが勤務時間となって業務スタートだが、途中で夕食を食べて……そこからが本番のようなものである。
そんな仕事をしていた1970年代から90年代前半にかけては、非効率的な手作業がメインだったから、その日やるべき作業が片付くのは常に深夜に及んでしまうのだ。
規則で23時以降はタクシー帰宅が認められていたが、そんな時間にならずに電車で帰宅できたのは、月20日勤務のうちで2日くらいのものだった。
そんなわけで、帰宅するのはほぼ午前様。それどころか3時、4時、5時という日もままあって、朝日を背に首都高速を帰宅することも珍しいことではなく、時には気まぐれに一番電車に乗って帰宅……の直前、駅ナカの蕎麦屋で朝定食をつまみにビールを呑んだりしたことも。
そんな勤務形態に別れを告げられたのは20世紀も終わりになる頃、勤続20年となったある夏の日のことで、思いがけない人事異動のおかげで、7月のはじめには夜型生活から別れを告げることができたのだ。
そこから定年退職までの17年ほどは、まあまあ人間らしい勤務ができたようである。
《私事のトピックス一覧》
定時は9時30分~17時30分、週休二日だったが、定時出社&退社したことはその20年の間に数えるほどしかなかった。遅い朝に起き出し、出社の途中で昼飯を食べて、会社のタイムレコーダーを押印すれば、そこからが勤務時間となって業務スタートだが、途中で夕食を食べて……そこからが本番のようなものである。
そんな仕事をしていた1970年代から90年代前半にかけては、非効率的な手作業がメインだったから、その日やるべき作業が片付くのは常に深夜に及んでしまうのだ。
規則で23時以降はタクシー帰宅が認められていたが、そんな時間にならずに電車で帰宅できたのは、月20日勤務のうちで2日くらいのものだった。
そんなわけで、帰宅するのはほぼ午前様。それどころか3時、4時、5時という日もままあって、朝日を背に首都高速を帰宅することも珍しいことではなく、時には気まぐれに一番電車に乗って帰宅……の直前、駅ナカの蕎麦屋で朝定食をつまみにビールを呑んだりしたことも。
そんな勤務形態に別れを告げられたのは20世紀も終わりになる頃、勤続20年となったある夏の日のことで、思いがけない人事異動のおかげで、7月のはじめには夜型生活から別れを告げることができたのだ。
そこから定年退職までの17年ほどは、まあまあ人間らしい勤務ができたようである。
《私事のトピックス一覧》
安話§左足ブレーキで四十年 [自動車]
以下は、既に何度か書いていることである。そしてあくまでも個人の責任で行っていることである。
運転免許を取得したのは1984年10月。当時はオートマ限定はなく、マニュアルで教習を受けたのだった。そうして無事に運転免許を手にして、オートマ車を購入したのは、最初から決めていたことだった。
そして、もう一つ決めていたのは、左足でブレーキを操作しようということである。これはもう周到に準備をしたつもりで、いきなり最初から左足を使いだしたわけではない。
マニュアル車でクラッチを扱うのは左足。ブレーキ操作と違って、ガツンと踏むのがクラッチペダルだから、左足でブレーキを踏むなとは、教習所で繰り返し指導されたことである。
だが“個人的”には、右足をアクセル、左足でブレーキと踏み分けるほうが合理的であろうと思い定めたのだ。
まず最初は運転中には使用せず、車を始動させる時や、バックする時に左足でブレーキペダルを踏むようにして、足慣らしをした。加えるなら、上り坂で停車している時も左足でブレーキを押さえておいて坂道発進をした。
そうして、運転時の実践に取りかかったが、そこまで慎重に事を進めたからかどうか、特に戸惑うこともなくスムーズに左足でブレーキをコントロールできたのである。
今さらながら、ブレーキとアクセルの踏み間違いによる事故の多さに、どうにかならないかと考えるが、だからといって、声を大にして左足ブレーキをとは声を上げにくい。否定的な論調も少なくないからだ。
だが、40年というものを左足でブレーキを踏んできた経験から言うならば、せめては駐車場みたいな、徐行やバックを必要とする場所では左足でブレーキを押さえるようしたらどうかと思うのである。
なお、左足ブレーキの短所は何かと聞かれたら、ペダルの位置が右足寄りになっていることで、それが若干使いにくいと言えなくもない。右足で踏むようになっているから、あたりまえなのだが。
《ドライブのトピックス一覧》
運転免許を取得したのは1984年10月。当時はオートマ限定はなく、マニュアルで教習を受けたのだった。そうして無事に運転免許を手にして、オートマ車を購入したのは、最初から決めていたことだった。
そして、もう一つ決めていたのは、左足でブレーキを操作しようということである。これはもう周到に準備をしたつもりで、いきなり最初から左足を使いだしたわけではない。
マニュアル車でクラッチを扱うのは左足。ブレーキ操作と違って、ガツンと踏むのがクラッチペダルだから、左足でブレーキを踏むなとは、教習所で繰り返し指導されたことである。
だが“個人的”には、右足をアクセル、左足でブレーキと踏み分けるほうが合理的であろうと思い定めたのだ。
まず最初は運転中には使用せず、車を始動させる時や、バックする時に左足でブレーキペダルを踏むようにして、足慣らしをした。加えるなら、上り坂で停車している時も左足でブレーキを押さえておいて坂道発進をした。
そうして、運転時の実践に取りかかったが、そこまで慎重に事を進めたからかどうか、特に戸惑うこともなくスムーズに左足でブレーキをコントロールできたのである。
今さらながら、ブレーキとアクセルの踏み間違いによる事故の多さに、どうにかならないかと考えるが、だからといって、声を大にして左足ブレーキをとは声を上げにくい。否定的な論調も少なくないからだ。
だが、40年というものを左足でブレーキを踏んできた経験から言うならば、せめては駐車場みたいな、徐行やバックを必要とする場所では左足でブレーキを押さえるようしたらどうかと思うのである。
なお、左足ブレーキの短所は何かと聞かれたら、ペダルの位置が右足寄りになっていることで、それが若干使いにくいと言えなくもない。右足で踏むようになっているから、あたりまえなのだが。
《ドライブのトピックス一覧》