顧話§今日の歴史~横浜港のランドマーク~ [歴史]
1989年9月27日、横浜ベイブリッジ開通。
横浜ベイブリッジは一度だけ渡ったことがある。
いつのことだったかは忘れたが、雨降りの日に横浜側から湾岸線を東京へと走らせた時のことで、まだ偉そうなドイツ車を運転していた時のことだ。
首都高速道路だが、制限速度は80km/h(最初は70km/h)というもので、走ってみればわかるとおり、3車線ながらそれ以上の広さを感じ、実際のスピードと見た目のスピード感がまるで違っていた。
80km/hちょっとで走っていたら、普通の道路の40km/h程度としか感じられず“内緒”でアクセルを多めに踏んでみても、道の広さとスピード感覚の差異に戸惑った記憶がある。
その後、一度も走ることはないままにきてしまったのは残念といえば残念であろうか。
《歴史のトピックス一覧》
横浜ベイブリッジは一度だけ渡ったことがある。
いつのことだったかは忘れたが、雨降りの日に横浜側から湾岸線を東京へと走らせた時のことで、まだ偉そうなドイツ車を運転していた時のことだ。
首都高速道路だが、制限速度は80km/h(最初は70km/h)というもので、走ってみればわかるとおり、3車線ながらそれ以上の広さを感じ、実際のスピードと見た目のスピード感がまるで違っていた。
80km/hちょっとで走っていたら、普通の道路の40km/h程度としか感じられず“内緒”でアクセルを多めに踏んでみても、道の広さとスピード感覚の差異に戸惑った記憶がある。
その後、一度も走ることはないままにきてしまったのは残念といえば残念であろうか。
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堅話§病院通いが日常に [老化]
六十代半ばを迎えた頃から、病院通いが始まった。月一回程度出向いては、薬を処方してもらう。
イレギュラーに“偽痛風”の発作が出た時は、鎮痛剤をもらいに行く。薬だけを出すわけにはいかないから、軽い問診でお茶を濁すわけだが、勝手にかかりつけ医と呼んでいる医師は「どうですか調子は?」と尋ねつつ、偽痛風の時は患部を触ったりする程度で終わり。その後は、薬を処方してもらっておしまい……それが3年ちょっと続いているだろうか。
この先、七十代、八十代と進むにしたがって、さらに病院通いの頻度が増えることは間違いないし、入院する可能性も覚悟しておかなくてはならない。
はてさて、我が身体のどこに大きなガタがきていて、しかるべくメンテナンスが必要なものか、我が身体なれど、それがまったくわからないというのも歯痒い話である。
《健康のトピックス一覧》
イレギュラーに“偽痛風”の発作が出た時は、鎮痛剤をもらいに行く。薬だけを出すわけにはいかないから、軽い問診でお茶を濁すわけだが、勝手にかかりつけ医と呼んでいる医師は「どうですか調子は?」と尋ねつつ、偽痛風の時は患部を触ったりする程度で終わり。その後は、薬を処方してもらっておしまい……それが3年ちょっと続いているだろうか。
この先、七十代、八十代と進むにしたがって、さらに病院通いの頻度が増えることは間違いないし、入院する可能性も覚悟しておかなくてはならない。
はてさて、我が身体のどこに大きなガタがきていて、しかるべくメンテナンスが必要なものか、我が身体なれど、それがまったくわからないというのも歯痒い話である。
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