過話§備忘録的な何か~2024年12月9日付~ [備忘録]
【以下長文】
12月2日……70歳にして初めての入院(二泊三日)をした。狭まった下肢動脈をカテーテル挿入して拡張するという“簡単な”手術だと思っていたのが大きな勘違い。まさか自分が、こんな総合病院のお世話になるなどとは夢にも思わず。
昼前、血液検査などを済ませて入院受付に。希望した部屋は4人部屋や大部屋だったのだが、指定されたのは二人部屋で「差額ベッド代が必要です」と言うので「はっ?確か病院の都合だと(厚労省ルールで)差額は不要では?」と確認を求めれば、そのとおり差額不要で二人部屋に収まることになった。後々、二人部屋のありがたさを知ることになる。
初日は病室にいるだけで特に何かをするというわけでもなく、定期的に看護師が来て検温と血圧チェックをしていっただけ。
気になっていた病院の食事は夕食からで、写真のように、肉団子、カボチャの煮物、モヤシのお浸しなど。かねてより不味いと評判の芳しくない病院食だが、個人的には申し分のないレベル。
ただ、白飯200gは少し多めで残した。
12月3日……手術当日がやって来た。手術は順番待ちで、いつ呼ばれるものか見当もつかず。ちなみに朝食と昼食は抜くことになってしまった。そして11時半過ぎ、順番が回ってきて、生理食塩水を点滴しながらオペ室に向かう。
かくして“俎板の鯉”状態で手術が始まった。まずは局所麻酔を注射され、おもむろに鼠径部からカテーテルの挿入を始めた。局所麻酔だからなのかどうか、下腹部を押される感覚はあるし、カテーテルの細い管が血管を進んでいく感触も感じられるが、あまり気持ちのいいものではない。
血管が細くなっている患部に差し掛かったが、血管がクランク状に曲がっているため思うようにカテーテルが進んでくれない。そんな様子が手術スタッフの会話から窺える。さらに寝ている首を右に倒すと、血管内を行き来するカテーテルの様子を映したモノクロのモニターが並んでいる。それをガン見するしかやることがないが、それはなかなかの見ものではあったのだ。
結局、難関箇所をクリアするために、足の甲から挟み撃ちにするべくカテーテル挿入を試みて、どうやら突破できたようだ。そして、甲子園球場のジェット風船のようなバルーンで血管を拡げ、そこにパイプ状の金属ネット“ステント”を差し込んで拡張部分を確保。3時間半近い手術は終了したのだった。
ベッドにのせられて病室まで移動。そこからが第二の試練である6時間の安静が待ち構えていた。鼠径部傷口の止血が終わるまで、仰向けのまま忍の一字なのであるが、これが辛かったのなんの。とにかく姿勢は変えられず、ひたすら6時間の経過を待つしかなかった。そして結局、晩飯も食べられず、丸一日を絶食で過ごしたのである。
安静から解放されたのは21時半に近く。まずしたのは、歩いてトイレに行ったこと。そして気がつけば、あっという間に爆睡へと誘われていったのだ。
12月4日……目覚めれば5時半を過ぎた頃、世間はまだ暗い。朝の食事までは、まだ2時間以上あるので、タブレットをいじったりして時間をつぶした。そしてようやく8時の朝食。実に38時間!ぶりに胃の腑へと沁みわたってくれた。
朝ご飯の直後、主治医来訪。以下はその時の会話(ほぼ完全コピペ……
ワタシ「想像していたより2.5倍(当社比)辛かったっす」
主治医「想像していたより2.5倍(当院比)面倒だったす」
主治医との面談で、先々をどうするかの方針を簡単に確認。いずれにしてもまだまだ先は続く。それにしてもと今回の入院で痛感したのは、受け身の手術であっても、体力が必要だということだった。そして、二泊三日から退院したその日は完全虚脱状態の役立たず。これだったら自重して無理せず、もう一泊してからでもよかったのでは。
10時過ぎ、同居人来訪。あれこれ残務があり、病院を出られたのは11時過ぎだった。
12月5日……ガスストーブを納戸から取り出して今に設置した。窓の結露対策として就寝中にキッチンのシロッコファンも最弱で回し始めている。
《日常のトピックス一覧》
12月2日……70歳にして初めての入院(二泊三日)をした。狭まった下肢動脈をカテーテル挿入して拡張するという“簡単な”手術だと思っていたのが大きな勘違い。まさか自分が、こんな総合病院のお世話になるなどとは夢にも思わず。
昼前、血液検査などを済ませて入院受付に。希望した部屋は4人部屋や大部屋だったのだが、指定されたのは二人部屋で「差額ベッド代が必要です」と言うので「はっ?確か病院の都合だと(厚労省ルールで)差額は不要では?」と確認を求めれば、そのとおり差額不要で二人部屋に収まることになった。後々、二人部屋のありがたさを知ることになる。
初日は病室にいるだけで特に何かをするというわけでもなく、定期的に看護師が来て検温と血圧チェックをしていっただけ。
気になっていた病院の食事は夕食からで、写真のように、肉団子、カボチャの煮物、モヤシのお浸しなど。かねてより不味いと評判の芳しくない病院食だが、個人的には申し分のないレベル。
ただ、白飯200gは少し多めで残した。
12月3日……手術当日がやって来た。手術は順番待ちで、いつ呼ばれるものか見当もつかず。ちなみに朝食と昼食は抜くことになってしまった。そして11時半過ぎ、順番が回ってきて、生理食塩水を点滴しながらオペ室に向かう。
かくして“俎板の鯉”状態で手術が始まった。まずは局所麻酔を注射され、おもむろに鼠径部からカテーテルの挿入を始めた。局所麻酔だからなのかどうか、下腹部を押される感覚はあるし、カテーテルの細い管が血管を進んでいく感触も感じられるが、あまり気持ちのいいものではない。
血管が細くなっている患部に差し掛かったが、血管がクランク状に曲がっているため思うようにカテーテルが進んでくれない。そんな様子が手術スタッフの会話から窺える。さらに寝ている首を右に倒すと、血管内を行き来するカテーテルの様子を映したモノクロのモニターが並んでいる。それをガン見するしかやることがないが、それはなかなかの見ものではあったのだ。
結局、難関箇所をクリアするために、足の甲から挟み撃ちにするべくカテーテル挿入を試みて、どうやら突破できたようだ。そして、甲子園球場のジェット風船のようなバルーンで血管を拡げ、そこにパイプ状の金属ネット“ステント”を差し込んで拡張部分を確保。3時間半近い手術は終了したのだった。
ベッドにのせられて病室まで移動。そこからが第二の試練である6時間の安静が待ち構えていた。鼠径部傷口の止血が終わるまで、仰向けのまま忍の一字なのであるが、これが辛かったのなんの。とにかく姿勢は変えられず、ひたすら6時間の経過を待つしかなかった。そして結局、晩飯も食べられず、丸一日を絶食で過ごしたのである。
安静から解放されたのは21時半に近く。まずしたのは、歩いてトイレに行ったこと。そして気がつけば、あっという間に爆睡へと誘われていったのだ。
12月4日……目覚めれば5時半を過ぎた頃、世間はまだ暗い。朝の食事までは、まだ2時間以上あるので、タブレットをいじったりして時間をつぶした。そしてようやく8時の朝食。実に38時間!ぶりに胃の腑へと沁みわたってくれた。
朝ご飯の直後、主治医来訪。以下はその時の会話(ほぼ完全コピペ……
ワタシ「想像していたより2.5倍(当社比)辛かったっす」
主治医「想像していたより2.5倍(当院比)面倒だったす」
主治医との面談で、先々をどうするかの方針を簡単に確認。いずれにしてもまだまだ先は続く。それにしてもと今回の入院で痛感したのは、受け身の手術であっても、体力が必要だということだった。そして、二泊三日から退院したその日は完全虚脱状態の役立たず。これだったら自重して無理せず、もう一泊してからでもよかったのでは。
10時過ぎ、同居人来訪。あれこれ残務があり、病院を出られたのは11時過ぎだった。
12月5日……ガスストーブを納戸から取り出して今に設置した。窓の結露対策として就寝中にキッチンのシロッコファンも最弱で回し始めている。
《日常のトピックス一覧》
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