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懐話§昭和四十年代~早弁のお年頃~ [昭和]

[承前]

保育園から中学校までの11年間は給食のお世話になったが、高校に入ったら給食はなく、弁当持参の通学となった。月曜から金曜までの5日間は、あのアルマイト製弁当箱にご飯とおかずを詰めてもらっていたのだ。そして……

食べ盛りである

10時も過ぎれば“腹が……減った”になる。ゆえに授業中が早弁タイムにもなるのである。

だが、我々は猿よりは知恵のある動物ゆえ、発覚するようなリスクは冒さない。安全に早弁が食べられるかどうかを事前にチェックしたのだ。すると、漢文の教師は、教壇から一歩も動くことなく、教室の生徒の机のほうまで見回りなどに来ないことが確認できた。

かくして、彼の授業が早弁たけなわとなったのである。もちろん、教壇から見えないよう、教科書を立てたりとカモフラージュも怠らない。残念ながら前列の連中は、その恩恵に与(あずか)れなかったが。

だが、早弁ができる授業は漢文以外には見当たらず、実のところは2時間目と3時間目の間の休み時間が早弁タイムだったのだ。

そうして早弁をした我々は……昼になれば当然ながら“腹が……減った”である。そこはまあよくしたもので、地元のパン屋の出店が待ち構えていて飢えた餓鬼どもにパンや焼きそば(具なし)を供してくれるおかげで、腹を空かせることなく午後の授業に集中できるのである……あれ?
                               [続く]

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