闘話§テレビと相撲~柏鵬時代から~ [相撲]
何度か書いていることだが、実家にテレビがやって来たのは1962年の5月頃だった。だからそれまで大相撲中継はラジオを聴くしかなかったのである。
だが、小学生レベルでは音声から得られる情報量などたかが知れていたから取組の様子はもちろん、力士の四股名とかまで把握などしていなかった……せいぜい栃錦、若乃花、朝潮といった上位強豪たちしか覚えていない。
そして記憶をたどっても、栃若の相撲をテレビでみたことはなかったのだ。それもそのはずで、栃錦が引退したのは1960年のことだったし、若乃花は、1962年の三月場所を限りに引退を表明したので、テレビがやって来た直後の五月場所に若乃花の姿はなかったのだ。
だから、我がテレビの横綱は、1961年の九州場所で同時昇進した大鵬と柏戸の二人からである。
二人のうち大鵬は言うまでもなく盤石の相撲で優勝を重ねたが、柏戸は突き押し一気という取り口ゆえかポカが多く、優勝回数でも大鵬に水を開けられることになった。
かくして柏鵬含めて27人の横綱を見続けた我が相撲観戦歴だが、同居人もまた相撲好きであるとは、結婚した後に知ったことである。
《相撲のトピックス一覧》
だが、小学生レベルでは音声から得られる情報量などたかが知れていたから取組の様子はもちろん、力士の四股名とかまで把握などしていなかった……せいぜい栃錦、若乃花、朝潮といった上位強豪たちしか覚えていない。
そして記憶をたどっても、栃若の相撲をテレビでみたことはなかったのだ。それもそのはずで、栃錦が引退したのは1960年のことだったし、若乃花は、1962年の三月場所を限りに引退を表明したので、テレビがやって来た直後の五月場所に若乃花の姿はなかったのだ。
だから、我がテレビの横綱は、1961年の九州場所で同時昇進した大鵬と柏戸の二人からである。
二人のうち大鵬は言うまでもなく盤石の相撲で優勝を重ねたが、柏戸は突き押し一気という取り口ゆえかポカが多く、優勝回数でも大鵬に水を開けられることになった。
かくして柏鵬含めて27人の横綱を見続けた我が相撲観戦歴だが、同居人もまた相撲好きであるとは、結婚した後に知ったことである。
《相撲のトピックス一覧》
コメント 0