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援話§パトロネージュの欠如 [日本]

“パトロネージュ”とは、損得勘定で行うものではない。

それをしみったれたように、しかも見返りを期待してというさもしい行為はパトロネージュとは呼べるものではないのではないか。特に昨今の日本におけるパトロネージュの欠如は情けないを通り越したような状況である。

……日本だってその昔は“旦那衆”なるものが存在していて、それぞれの贔屓に対しての援助は惜しまなかったと聞いている。贔屓からの見返りを期待していたわけではなく“私はこういう人を贔屓していますよ”とアピールするためで、それ以上の見返りを求めていたかどうかはわからない。

21世紀の今、とりわけ公的機関のパトロネージュ思想の貧弱さは眼を覆うばかりで、文化事業に対する理解度の低さは、とても先進国とはいえない状況である。

昨年秋に閉場した隼町の国立劇場は、今だに新劇場を建築する業者の入札が不調で、宙に浮いたままという恥ずかしさに、さすがに関係者からの批判も聞こえてくるが、その声をもっと大きくする必要がありはしないか。もっとも、文楽なんか消えてなくなってもかまわないと、とんでもない暴言を吐いた府知事もいたが。

ここ10年、政治の劣化は留まることを知らず、そんな行政を行っても、文句を言わないだろうと見越しているのだろうが、いい加減に国民も目を覚まして大きな声を上げる時ではないか。

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