流話§秀山祭九月大歌舞伎~大歌舞伎の空気~ [歌舞伎]
9月も半ばになったというのに、先週土曜日の東京の最高気温は34.1度……極力日向に出ないよう考えながら、電車を乗り継いで東銀座の歌舞伎座へ。二代目吉右衛門が生きていれば80歳の秀山祭九月大歌舞伎夜の部を観た。
まず『妹背山婦女庭訓』“太宰館花渡し”と“吉野川”が、合わせて2時間40分の長丁場である。吉野川を観るのは2007年に初めて観て以来、4回目。今回ようやく内容への理解が追い付いてきたと感じたが、まだまだである。
まず、20分ほどの“花渡し”は軽いジャブといったところだが、吉之丞の蘇我入鹿に悪の大きさが感じられず、そこは役者の格が必要だと痛感した。
そして“吉野川”は、両花道から続く本舞台の吉野川を挟んで、上手が大判事(松緑)の屋敷、下手が定高(玉三郎)の屋敷、そして左右に義太夫が並んでそれぞれの屋敷の様子を語り分ける、大きなスケールの2時間近い舞台。
前半は緊張が続かなかったが、後半……大判事が久我之助(染五郎)を、定高が雛鳥(左近)を手にかける場面の充実がすばらしかった。舞台の空気が一気に大歌舞伎へと昇華していく様を眼にしたのだ。これで、松緑の口跡がもう少しキリっとしてくれたらなあと思った。だが、4回目にして“吉野川”がようやく見えてきたようだ。
35分の休憩があって『勧進帳』はきついものがあった。何もこんな大物を一晩で観せてくれなくてもと思えど、そこは秀山祭だからしかたがない。そして『勧進帳』という題名の後に“二代目播磨屋八十路の夢”と銘打たれて、甥の幸四郎が弁慶、義理の息子の菊之助が富樫、そして幸四郎の息子染五郎が義経を務めた。
……だったが、弁慶と富樫の息がもう一つ噛み合わず、問答などももどかしく感じた。勧進帳という芝居への意気込みと、弁慶と富樫それぞれの表現が大きくずれてしまっていて、もったいない勧進帳だった。これはもう、この先末長く数を重ねて、密度の濃い舞台を構築していってほしいものである。
終演は20時50分過ぎ、電車を乗り継いで22時半前の帰宅はちょっと辛い。
《歌舞伎のトピックス一覧》
まず『妹背山婦女庭訓』“太宰館花渡し”と“吉野川”が、合わせて2時間40分の長丁場である。吉野川を観るのは2007年に初めて観て以来、4回目。今回ようやく内容への理解が追い付いてきたと感じたが、まだまだである。
まず、20分ほどの“花渡し”は軽いジャブといったところだが、吉之丞の蘇我入鹿に悪の大きさが感じられず、そこは役者の格が必要だと痛感した。
そして“吉野川”は、両花道から続く本舞台の吉野川を挟んで、上手が大判事(松緑)の屋敷、下手が定高(玉三郎)の屋敷、そして左右に義太夫が並んでそれぞれの屋敷の様子を語り分ける、大きなスケールの2時間近い舞台。
前半は緊張が続かなかったが、後半……大判事が久我之助(染五郎)を、定高が雛鳥(左近)を手にかける場面の充実がすばらしかった。舞台の空気が一気に大歌舞伎へと昇華していく様を眼にしたのだ。これで、松緑の口跡がもう少しキリっとしてくれたらなあと思った。だが、4回目にして“吉野川”がようやく見えてきたようだ。
35分の休憩があって『勧進帳』はきついものがあった。何もこんな大物を一晩で観せてくれなくてもと思えど、そこは秀山祭だからしかたがない。そして『勧進帳』という題名の後に“二代目播磨屋八十路の夢”と銘打たれて、甥の幸四郎が弁慶、義理の息子の菊之助が富樫、そして幸四郎の息子染五郎が義経を務めた。
……だったが、弁慶と富樫の息がもう一つ噛み合わず、問答などももどかしく感じた。勧進帳という芝居への意気込みと、弁慶と富樫それぞれの表現が大きくずれてしまっていて、もったいない勧進帳だった。これはもう、この先末長く数を重ねて、密度の濃い舞台を構築していってほしいものである。
終演は20時50分過ぎ、電車を乗り継いで22時半前の帰宅はちょっと辛い。
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