過話§上京五十一年~アパート暮らし~ [東京]
結婚して落ち着くまでの独身期間は、アパート4軒を転々とした。代々木に始まって、成増、荻窪、井草である。
代々木については何度も詳しく書いているので省略。成増は、大学2年から卒業するまでの3年間だった。同じく上京してきた弟と、6畳+4畳にキッチンが付いて、家主さんのお宅の2階を間借りしていた。成増の駅から徒歩10分ほど。地名は赤塚、住んでいる時は知らず、後で知ったことだが、すぐ近くに『怪談乳房榎』の赤塚乳房大神があったのだ。
そうして就職して住んだのが荻窪駅の北、日大二高近くの本天沼の6畳間。悪くはなかったが、仕事を始めたら時間が不規則で平日は銭湯に行けず、出勤前に駅近のサウナを利用する有様に音を上げて、わずか7か月、11月には井草の風呂付きアパートに引っ越してしまった。
賃貸の間借りからアパートへと移り住んだのは、1973年から1982年の10年足らず。
結婚して、今の地域で42年が過ぎた……あっという間とも言えるし、かくも遠くまで来てしまったとも思う。東京のアパート暮らしは“この先、自分がどうなっていくか”何の確信もないままに生きていた時代でもある。
《東京のトピックス一覧》
代々木については何度も詳しく書いているので省略。成増は、大学2年から卒業するまでの3年間だった。同じく上京してきた弟と、6畳+4畳にキッチンが付いて、家主さんのお宅の2階を間借りしていた。成増の駅から徒歩10分ほど。地名は赤塚、住んでいる時は知らず、後で知ったことだが、すぐ近くに『怪談乳房榎』の赤塚乳房大神があったのだ。
そうして就職して住んだのが荻窪駅の北、日大二高近くの本天沼の6畳間。悪くはなかったが、仕事を始めたら時間が不規則で平日は銭湯に行けず、出勤前に駅近のサウナを利用する有様に音を上げて、わずか7か月、11月には井草の風呂付きアパートに引っ越してしまった。
賃貸の間借りからアパートへと移り住んだのは、1973年から1982年の10年足らず。
結婚して、今の地域で42年が過ぎた……あっという間とも言えるし、かくも遠くまで来てしまったとも思う。東京のアパート暮らしは“この先、自分がどうなっていくか”何の確信もないままに生きていた時代でもある。
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