暮話§山坂の町~半世紀が過ぎた今~ [東京]
ニュータウンと呼ばれ続けてきた多摩丘陵の我が家のあたりである。入居が始まって半世紀が過ぎた。かつての写真を見ると、新しい建物の周囲がはげ山の如くだったことに驚かされる。それが今は、鬱蒼とした緑の森の海に建物が埋もれて見えるまでになったのだ。げに、半世紀の歳月よではないか。
そんな町の構造は、いくつかの丘陵とその間の谷筋とか存在していて、基本的には、丘陵の上に団地群が建設され、谷筋に鉄道や幹線道路を走らせるという立体的なものである。
団地群を縫って遊歩道が整備され“歩車分離”が実現している。だが、そうはいっても、丘陵の上から谷筋まで上り下りしなくてはならない。入居が始まった半世紀前に三十代、四十代だった初期の住民たちは八十代以上と高齢化が進み、坂や階段がしんどくなってきてしまった。
さらにエレベーターの設置不要な5階建ての団地だらけで、高齢化による懸念が現実として突き付けられているのだ。山坂と階段の合わせ技で、外出もままならなくなってしまった高齢者も少なくはない。
そして、入居したころは盛況だった地域の商店街は活況を失ってしまった。中には新しい試みで商店街を生き返らせたりもしている。そうした試みの源は新しく若い世代の住民たちで、彼らの力を頼ることで少しでもで活性化が進んでくれることを期待する。
《東京のトピックス一覧》
そんな町の構造は、いくつかの丘陵とその間の谷筋とか存在していて、基本的には、丘陵の上に団地群が建設され、谷筋に鉄道や幹線道路を走らせるという立体的なものである。
団地群を縫って遊歩道が整備され“歩車分離”が実現している。だが、そうはいっても、丘陵の上から谷筋まで上り下りしなくてはならない。入居が始まった半世紀前に三十代、四十代だった初期の住民たちは八十代以上と高齢化が進み、坂や階段がしんどくなってきてしまった。
さらにエレベーターの設置不要な5階建ての団地だらけで、高齢化による懸念が現実として突き付けられているのだ。山坂と階段の合わせ技で、外出もままならなくなってしまった高齢者も少なくはない。
そして、入居したころは盛況だった地域の商店街は活況を失ってしまった。中には新しい試みで商店街を生き返らせたりもしている。そうした試みの源は新しく若い世代の住民たちで、彼らの力を頼ることで少しでもで活性化が進んでくれることを期待する。
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