顧話§今日の歴史~2年半を要して~ [キリスト教]
1582年2月20日、天正遣欧少年使節が長崎港を出港。
コロンブスのアメリカ発見から百年足らず、マゼランの世界一周達成からも60年という、まだまだ航海技術もどれほどのものかはわからないが、日本からヨーロッパに少年使節を派遣したということがいかに難事業であったことかと思わせられる。
とにもかくにも記録を見ると、長崎からインド西部のゴアについたのが1年10か月後、ヨーロッパの地ポルトガルには1584年8月20日だから2年6か月の航海……今だったら飛行機で12時間ほどの旅程ではないか。
かくして彼らが、ヨーロッパの地を踏み、そして帰ってきた初めての日本人ということになるのだ。
しかもローマ滞在中には、ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見したと思ったら、4月10日に逝去。次に即位したシクストゥス5世の“戴冠式”に列席するという経験もしている。
少年使節のヨーロッパ滞在は2年に及び、1586年4月にリスボンから帰途に就いたが、1590年に帰参してからは、バテレン追放令からキリスト教禁教へと進む中で、棄教した者、殉教した者と悲劇的な運命となってしまった。
《歴史のトピックス一覧》
コロンブスのアメリカ発見から百年足らず、マゼランの世界一周達成からも60年という、まだまだ航海技術もどれほどのものかはわからないが、日本からヨーロッパに少年使節を派遣したということがいかに難事業であったことかと思わせられる。
とにもかくにも記録を見ると、長崎からインド西部のゴアについたのが1年10か月後、ヨーロッパの地ポルトガルには1584年8月20日だから2年6か月の航海……今だったら飛行機で12時間ほどの旅程ではないか。
かくして彼らが、ヨーロッパの地を踏み、そして帰ってきた初めての日本人ということになるのだ。
しかもローマ滞在中には、ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見したと思ったら、4月10日に逝去。次に即位したシクストゥス5世の“戴冠式”に列席するという経験もしている。
少年使節のヨーロッパ滞在は2年に及び、1586年4月にリスボンから帰途に就いたが、1590年に帰参してからは、バテレン追放令からキリスト教禁教へと進む中で、棄教した者、殉教した者と悲劇的な運命となってしまった。
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