懐話§昭和三十年代~年始回り~ [昭和]
[承前]
実家で暮らしていた小学生の頃の正月。2日になると、父親が年始回りを始めるのだった。挨拶に伺うのは、親しい知り合い10軒ほどだったのではと記憶していて、荷物持ちに付き合わされることがあった。
持って行くのは毎年同じで、固形石鹸6個が化粧箱に入ったもの。持ち歩くのはたいした手間ではない。いそいそとついていくのは理由がある。
伺って、挨拶の一言でもすれば「ちょっと待って!」と先方がお年玉を渡してくれる。それが目当てで行くわけで、そんなこともなかったら行くはずもないのは言うまでもない。
60年近く前の話だから、普通は100円玉1枚、時折100円玉が2枚入っていると、心の中でガッツポーズをしていた。
そんな、日本における正月の“贈与”習慣が廃れたように思われるのだが、それはいつ頃くらいからのことだったか、高校生の頃(1970年代)には父親が年始回りに出かけなくなっていたような気がする。
そして東京に出てくれば、行き来するような知り合いもおらず、それゆえに年賀の品物を持って年始回りすることなど当然ながらすることなどもない。
[続く]
《昭和のトピックス一覧》
実家で暮らしていた小学生の頃の正月。2日になると、父親が年始回りを始めるのだった。挨拶に伺うのは、親しい知り合い10軒ほどだったのではと記憶していて、荷物持ちに付き合わされることがあった。
持って行くのは毎年同じで、固形石鹸6個が化粧箱に入ったもの。持ち歩くのはたいした手間ではない。いそいそとついていくのは理由がある。
伺って、挨拶の一言でもすれば「ちょっと待って!」と先方がお年玉を渡してくれる。それが目当てで行くわけで、そんなこともなかったら行くはずもないのは言うまでもない。
60年近く前の話だから、普通は100円玉1枚、時折100円玉が2枚入っていると、心の中でガッツポーズをしていた。
そんな、日本における正月の“贈与”習慣が廃れたように思われるのだが、それはいつ頃くらいからのことだったか、高校生の頃(1970年代)には父親が年始回りに出かけなくなっていたような気がする。
そして東京に出てくれば、行き来するような知り合いもおらず、それゆえに年賀の品物を持って年始回りすることなど当然ながらすることなどもない。
[続く]
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