顧話§今日の歴史~おお友よ!~ [クラシック]
1824年5月7日、ベートーヴェンの交響曲第9番初演。
あと3年で初演から200年を迎えるベートーヴェンの交響曲第9番である。
第4楽章の超有名な主題を始めて聴いたのが小学生の時だったことは間違いない。ただ、本当にあのメロディーだけで、それ以外には何も知らずにいたのだった。
中学生になって、ラジオで第九を放送することがあり、それではと待ち構えていたら、あのメロディーはいつになっても登場せずで、延々と訳のわからない音楽が45分にわたって流れ続けて閉口した記憶が生々しく残っている。
その後、実演に接したのは1970年頃……山田一雄指揮の群馬交響楽団による演奏だった。実家の町から電車で40分ほどの高崎は音楽センターで行われたのだが、当日早く着き過ぎてホールのあたりをうろうろしていたら、入口の扉が開いていて、中でも見ようと入り込んだらゲネプロ(リハーサル)が始まるところだった。誰何されることもなく客席に入り込めたのは不思議。
というわけで山田一雄のエネルギッシュな指揮ぶりは、勢い余って指揮棒を吹っ飛ばしたりもしていたが、当時の群響は、お世辞にも上手とは言えず、あちこちで音を外しまくっていたのだ。
その頃にはもちろん、第1楽章から第4楽章に至る流れはとりあえず把握していたけれど、一時間を超える長大な音楽を捉えかねていたのは間違いないところである。
《歴史のトピックス一覧》
あと3年で初演から200年を迎えるベートーヴェンの交響曲第9番である。
第4楽章の超有名な主題を始めて聴いたのが小学生の時だったことは間違いない。ただ、本当にあのメロディーだけで、それ以外には何も知らずにいたのだった。
中学生になって、ラジオで第九を放送することがあり、それではと待ち構えていたら、あのメロディーはいつになっても登場せずで、延々と訳のわからない音楽が45分にわたって流れ続けて閉口した記憶が生々しく残っている。
その後、実演に接したのは1970年頃……山田一雄指揮の群馬交響楽団による演奏だった。実家の町から電車で40分ほどの高崎は音楽センターで行われたのだが、当日早く着き過ぎてホールのあたりをうろうろしていたら、入口の扉が開いていて、中でも見ようと入り込んだらゲネプロ(リハーサル)が始まるところだった。誰何されることもなく客席に入り込めたのは不思議。
というわけで山田一雄のエネルギッシュな指揮ぶりは、勢い余って指揮棒を吹っ飛ばしたりもしていたが、当時の群響は、お世辞にも上手とは言えず、あちこちで音を外しまくっていたのだ。
その頃にはもちろん、第1楽章から第4楽章に至る流れはとりあえず把握していたけれど、一時間を超える長大な音楽を捉えかねていたのは間違いないところである。
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