懐話§昭和三十年代~街角の有線放送~ [昭和]
[承前]
実家のあった町には、主要な街角の電柱に有線放送のスピーカーが設置されていた。
有線放送といっても、居酒屋とかスナックで音楽を流す“あれ”ではなく、もっぱら商店の情報を宣伝していたのだ。
その他にも行政からのお知らせが流れてきたり……今であったら、住民からうるさいと苦情が出るような類だったと思われる。
ただし、いつもは右の耳から左の耳へと通り過ぎるような放送ばかりだった中に、スピーカーの周りに近隣住民がワラワラと集まってくることがあってそれは火災発生のお知らせの時だったのだ。
我が町で火事が起きると、まずは消防署からサイレンが鳴らされる。サイレンの回数によって、市の北部か南部かがわかり、サイレンを聞いたら、有線放送を聞きに行くのである。
ややあって、アナウンサーが「ただいまの火災は〇×町2丁目、凸凹医院の近くの模様です」とかいった放送が行われるのだ。
狭い町のゆえに、ひょっとしたら知り合いが出火元の近くにいやしないかという、そんな思いが大きな需要となって、田舎町の有線放送最大の存在理由であったのは間違いない。
[続く]
《昭和のトピックス一覧》
実家のあった町には、主要な街角の電柱に有線放送のスピーカーが設置されていた。
有線放送といっても、居酒屋とかスナックで音楽を流す“あれ”ではなく、もっぱら商店の情報を宣伝していたのだ。
その他にも行政からのお知らせが流れてきたり……今であったら、住民からうるさいと苦情が出るような類だったと思われる。
ただし、いつもは右の耳から左の耳へと通り過ぎるような放送ばかりだった中に、スピーカーの周りに近隣住民がワラワラと集まってくることがあってそれは火災発生のお知らせの時だったのだ。
我が町で火事が起きると、まずは消防署からサイレンが鳴らされる。サイレンの回数によって、市の北部か南部かがわかり、サイレンを聞いたら、有線放送を聞きに行くのである。
ややあって、アナウンサーが「ただいまの火災は〇×町2丁目、凸凹医院の近くの模様です」とかいった放送が行われるのだ。
狭い町のゆえに、ひょっとしたら知り合いが出火元の近くにいやしないかという、そんな思いが大きな需要となって、田舎町の有線放送最大の存在理由であったのは間違いない。
[続く]
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