永話§今さらながら我が人生① [私事]
還暦もあっという間に軽々とクリアし、今や古希が視野に入ってしまった。人生三分の二が過ぎ、残り時間は刻々と少なくなりつつある。というわけでタイトル通り“今さらながら”の人生回顧など。
1954年……午年、関東平野は北端の小都市に生まれた。長男であるがゆえという、それだけでちやほやされた時代でもあった。
1959年……プロテスタント系の保育園に入る。2年保育の間に、讃美歌やらお祈りの言葉をすっかり覚えてしまったので、キリスト教の影響をいくぶんか受けたことは否定できない。
1961年……小学校入学。保育園の“讃美歌とお祈り”の日常から変わってしまった状況に釈然としない思いを抱いたが、いつの間にか消え去っていた。学校の成績はいいほうだったとは感じていたが、手ごたえがあったと思えずだったのは、自信らしきものを持っていなかったがゆえだったのか。
1967年……小学校を卒業、引き続き地元の公立中学校に進む。1年に始まる英語の授業で、何かを掴んだのかどうか、中間テストや期末テストの結果が想像以上の成績で“ひょっとして出来るほう?”と思うようになった。
1970年……中学を卒業。40人×5クラスという構成での成績は、常に1けたの上位を維持して、選択肢のないままに地元の県立伝統高校へと進んだが、そこで待ち構えていたのは?
[続く]
《私事のトピックス一覧》
1954年……午年、関東平野は北端の小都市に生まれた。長男であるがゆえという、それだけでちやほやされた時代でもあった。
1959年……プロテスタント系の保育園に入る。2年保育の間に、讃美歌やらお祈りの言葉をすっかり覚えてしまったので、キリスト教の影響をいくぶんか受けたことは否定できない。
1961年……小学校入学。保育園の“讃美歌とお祈り”の日常から変わってしまった状況に釈然としない思いを抱いたが、いつの間にか消え去っていた。学校の成績はいいほうだったとは感じていたが、手ごたえがあったと思えずだったのは、自信らしきものを持っていなかったがゆえだったのか。
1967年……小学校を卒業、引き続き地元の公立中学校に進む。1年に始まる英語の授業で、何かを掴んだのかどうか、中間テストや期末テストの結果が想像以上の成績で“ひょっとして出来るほう?”と思うようになった。
1970年……中学を卒業。40人×5クラスという構成での成績は、常に1けたの上位を維持して、選択肢のないままに地元の県立伝統高校へと進んだが、そこで待ち構えていたのは?
[続く]
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