顧話§今日の歴史~大相撲が両国に戻る~ [相撲]
1984年9月23日、蔵前国技館が秋場所千秋楽をもって閉館。
終戦直後、新装なった蔵前国技館で大相撲興行が再開したのは1949年のことで、その時から何となく仮住まいのような扱いで、相撲協会にしてみれば、両国に国技館を戻したいということは悲願のように思われていた……記憶では、大相撲中継の時でも「両国の国技館が」のような物言いを頻繁に聞いていたような気がする。
そんなわけで、両国国技館が竣工したのは1984年の秋、新国技館の完成と同じ時期に開催された9月の秋場所が蔵前国技館最後の興行となり、優勝したのは平幕の多賀竜。どうといって目立つ力士ではなかったので、何と言うかドサクサで優勝をさらっていったのだった。
両国の新しい国技館を建てるにあたって、相撲協会は借金を一切することがなかったのは、蔵前国技館の跡地を東京都に売却し、それらが大きな原資となったということだ。
なお、1985年初場所で両国国技館の相撲興行が始まったが、優勝したのは横綱千代の富士。そして同じく横綱の北の湖は、初日から三連敗した翌日に引退を表明した。
《歴史のトピックス一覧》
終戦直後、新装なった蔵前国技館で大相撲興行が再開したのは1949年のことで、その時から何となく仮住まいのような扱いで、相撲協会にしてみれば、両国に国技館を戻したいということは悲願のように思われていた……記憶では、大相撲中継の時でも「両国の国技館が」のような物言いを頻繁に聞いていたような気がする。
そんなわけで、両国国技館が竣工したのは1984年の秋、新国技館の完成と同じ時期に開催された9月の秋場所が蔵前国技館最後の興行となり、優勝したのは平幕の多賀竜。どうといって目立つ力士ではなかったので、何と言うかドサクサで優勝をさらっていったのだった。
両国の新しい国技館を建てるにあたって、相撲協会は借金を一切することがなかったのは、蔵前国技館の跡地を東京都に売却し、それらが大きな原資となったということだ。
なお、1985年初場所で両国国技館の相撲興行が始まったが、優勝したのは横綱千代の富士。そして同じく横綱の北の湖は、初日から三連敗した翌日に引退を表明した。
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