懐話§昭和四十年代~中学校時代~ [昭和]
[承前]
昭和四十年代前半の3年間を中学校に通って過ごした。自分的にはあれこれあった3年間だったと記憶している。
学校の成績は悪いほうではなかったが、それほど自信を持ってどうこうするほうではなかったので、中学校お新科目である英語がどうなるものか、不安まじりで入学をした。
幸いというか、案ずるほどのこともなく自分でも意外なほど英語が得意科目になってくれたのは英語担当の先生のおかげではなかったかと思っている。
自慢してもいい英語の成績だが、高校に入学して2年から3年と進む間に、あーら不思議……ただのどうってこのない成績に落ち着いてしまったのだ。
そして、保育園と小学校は家から数分の範囲内にあって、通うのに苦なことはなかったが、中学校は我が家から徒歩15分近くを要して、平坦な通学路ではあったけれど、毎日遠いなあと思いながらせっせと通っていたのである。
そして一瞬だけではあったが、伸びた英語の成績を武器にして、何となく、我が家を離れようという目論見が具体化していったような、そんな3年間を虎視眈々と過ごしていたのだった。
[続く]
《昭和のトピックス一覧》
昭和四十年代前半の3年間を中学校に通って過ごした。自分的にはあれこれあった3年間だったと記憶している。
学校の成績は悪いほうではなかったが、それほど自信を持ってどうこうするほうではなかったので、中学校お新科目である英語がどうなるものか、不安まじりで入学をした。
幸いというか、案ずるほどのこともなく自分でも意外なほど英語が得意科目になってくれたのは英語担当の先生のおかげではなかったかと思っている。
自慢してもいい英語の成績だが、高校に入学して2年から3年と進む間に、あーら不思議……ただのどうってこのない成績に落ち着いてしまったのだ。
そして、保育園と小学校は家から数分の範囲内にあって、通うのに苦なことはなかったが、中学校は我が家から徒歩15分近くを要して、平坦な通学路ではあったけれど、毎日遠いなあと思いながらせっせと通っていたのである。
そして一瞬だけではあったが、伸びた英語の成績を武器にして、何となく、我が家を離れようという目論見が具体化していったような、そんな3年間を虎視眈々と過ごしていたのだった。
[続く]
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