張話§デラシネ~根無し草のつぶやき~ [私事]
生まれ育った北関東端っこの町を出て、東京に暮らし始めて、もう間もなく半世紀が過ぎようとしている。生き続けていれば、年を取るのは当たり前のことで、十代だった我が身も気がつけば六十代の老境を彷徨っているのだ。
“デラシネ”とは、フランス語の根無し草とか故郷を離れた人……とかいう意味で、文章の中に横文字を入れる趣味などはなけれど、ちょっと使いたくなる言葉ではある。
引越しこそしたけれど、今の地域に暮らし始めて今年で38年。今さらだが、もう根無し草などと自らを称する必要などないとは思うが、そんな質(たち)のようで、根無し草意識が抜けないままにここまで来てしまったような気がしないでもない。
実家を出て東京に行く時、自分が長い年月の間求めていた状況だったから、何もためらうことなどはなかった。これで少しは未来が開けるのではとすら考えてもいて、引っ越しの済んだ初日の夜、下宿の三畳間で一人快哉を上げたことをよく覚えている。
……ではあるが、実家のあった町が嫌いなわけではなく、元より好きだということは言うまでもないが、そのあたりの微妙なズレらしきものを、長いこと引きずってきてしまったようだ。
それがゆえに“根無し草”意識が抜けないままに来てしまったと思われる。
そうした齟齬を今さら埋めようなどとは不可能なことでしかなく、このまま根無し草としてこのまま生をまっとうするしかないということだろう。
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“デラシネ”とは、フランス語の根無し草とか故郷を離れた人……とかいう意味で、文章の中に横文字を入れる趣味などはなけれど、ちょっと使いたくなる言葉ではある。
引越しこそしたけれど、今の地域に暮らし始めて今年で38年。今さらだが、もう根無し草などと自らを称する必要などないとは思うが、そんな質(たち)のようで、根無し草意識が抜けないままにここまで来てしまったような気がしないでもない。
実家を出て東京に行く時、自分が長い年月の間求めていた状況だったから、何もためらうことなどはなかった。これで少しは未来が開けるのではとすら考えてもいて、引っ越しの済んだ初日の夜、下宿の三畳間で一人快哉を上げたことをよく覚えている。
……ではあるが、実家のあった町が嫌いなわけではなく、元より好きだということは言うまでもないが、そのあたりの微妙なズレらしきものを、長いこと引きずってきてしまったようだ。
それがゆえに“根無し草”意識が抜けないままに来てしまったと思われる。
そうした齟齬を今さら埋めようなどとは不可能なことでしかなく、このまま根無し草としてこのまま生をまっとうするしかないということだろう。
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