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会話§フランソワ=フレデリック・ギイのピアノ [クラシック]

武蔵野市民文化会館小ホールで行われていたフランソワ=フレデリック・ギイが弾く、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ連続演奏会9回シリーズのうちの8回目を聴いてきた。この日演奏されたのは、最後のソナタ3曲。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 E-Dur Op.109
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 As-Dur Op.110

**********************休憩**********************

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 c-moll Op.111

IMG_6450.JPG

9回も通うつもりはなかったので、この日の1回券1800円也だけを購入……正直な感想は“一回だけで十分”というものである。

音は大きいのだが、ペダルが過剰なためか前の音が後に出てくる音を潰したり、テクスチュアがべったりして、3曲どれも音楽のディテールを楽しむことができなかった。

30番は“ちょっと……何弾いてるのかわかんない”状態で、辛うじて、個人的に楽しめたかなと感じたのは2曲目の31番だったが、これも期待値を低めに設定したがゆえのことだろう。32番は最悪だった。第2楽章第3変奏の弾むようなモチーフが、ただ単にガンガン鳴らされるだけで“うわあ参った”と頭の中で白旗を上げていて、早く終わってくれと念じていたのだ。

休憩一回を挟んで終演は20時20分頃。演奏終わったピアニストが引っ込んだタイミングで立ち上がったら、けっこうな人数が出口に向かっていたのには驚いた。終演時刻が早かったからもっと拍手が続くかと思ったのだが。

最後に……ベートーヴェン最後のピアノ・ソナタ3曲は、つくづく不思議な音楽だと聴くたびに感じる。作曲されたのは1822年、彼の死に先立つ5年前で、交響曲第9番の2年前のこと。

もちろん聴覚は、その10年前(40歳ごろ)には完全に失われていた。そんな中で、これら3曲も創られたわけだが、特にこれらに限って言うなら、生身の人間に聴かせるために作曲したとは思えないということだ。ベートーヴェンの内なる声が音楽となって、あたかも神と対話しているのではないかと感じてならない。

このあたり、いくら聴く回数を重ねても、自分のような凡夫にはわかりようがないと諦めるしかないのである。

この日、ピアニストは神と対話していただろうか。

追記:こうして今年最後のクラシック演奏会は終わり。武蔵野の往復は自動車で片道一時間ほどである。演奏会は1時間半と短かったおかげもあって、駐車料金は400円。電車とバスを乗り継いだら二人で2000円以上なのだ。

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